狸小路とかいう楽しいアーケードに興奮するもハズレをひく。
藻岩山の夜景は霧で残念やった。。
ご飯で挽回しようと、めっちゃググって最終に残ったのが、狸小路にある炭火ホルモン焼きの店。
カウンターはあるが、外から覗いた感じだとちと女のひとり食としてはハードルが高い店。
かなり悩む。
アーケードをもう一度おさらい。
でも、この店が気になる。
22時までにゲストハウスのチェックインが必要やしそれまでもう1時間切ってるしと、意を決して入った。
左隣にカップルと右隣に後から入ってきた男性のひとり客。
塩ホルモンの店なのでそれと、ビールと豚トロとサガリを頼む。
豚トロは最初美味しいと感じたけど、ホルモンはそうでもなかった。
舌が肥えてしまってるのか…博多育ちの私としてはプルンプルンの良質な油が乗ってるホルモンを知ってるだけに…イマイチに感じられ、ホルモンを残した状態で30分と少しで店を後にした。
きっとはたからみたら何あの人だったと思う 汗
一人で来た奇異な客も、見知らぬ土地だから関係なし‼︎ カウンターからスタッフさん見てたら凄い量の塩を振ってて、なんかそれも食べる気を喪失させた。。
しかしお値段は1700円と良心的な価格。
お!値段以上!ではなかったけどこれはこれか。
保険で買っておいたタコ焼きをホテルに帰って食べたけど、これもハズレ。結局ビールとサラミで飲み直す羽目に。
アーケードもあんなに広くて長くて、無数の美味しそうな店が軒を連ねてるのに…何故わざわざハズレを引く私?!とひとりツッコミの案件だが。
でもコレも旅の醍醐味で、一興‼︎
明日は美味しいご飯に巡り会えるといいな。
雨女の本領発揮 泣
バスセンターへ戻りチャリを狸小路まで走らせ、市電でロープウェイ入り口へ。→200円。安ッ‼︎
駅から無料シャトルバスが出てる。
ロープウェイに乗る時に、今日はかなり曇ってて景色が見えずらいと案内される…泣。
でもここまで来たなら行かんとしゃあないやん。。ロープウェイは中腹まで先頭バッター並みにかなり良い位置に歩を進められた。
ロープウェイ1700円。お高め。
結構高さがあって少しゾワゾワする感じ。
途中まで来て、お客がザワザワしだす。めっちゃ白くない?!笑
ガスり過ぎて何も見えん 泣。
…。楽しみにしてた展望台さんサヨウナラ。
夜景も夕陽的なものも見れないのでそのフラストレーションをプラネタリウムで晴らすべく700円を支払い鑑賞。うーん、イマイチ?
帰りのロープウェイで少し夜景が見えたものの
全く絶景とは言えないモノで再度泣く泣くすぐさま下山。
この旅行最大の切なさになってしまったけど…
コレも一興と考えて、ドンマイ‼︎
つか、何も食べて無いのでお腹すいたわー…
モエレ沼公園をチャリで爆走
12:30に札幌駅へ到着。一泊2800円のゲストハウスに荷物を預けようとすすきの方面まで歩くも迷走。行き道に行列のラーメン屋と気になる餃子屋、狸小路を横目にやっとこさゲストハウスへ到着。無料のレンタサイクルが嬉しい。
デポジット1000円とホテル代金を支払い、ママチャリにて大通りバスセンターへ!
13:50のつもりやったモエレ沼公園行きバスはどうやら14:20やったらしく、一度出て電波塔?の下を散策。
なんか街並みが広島に似とるナァなんぞと思いつつ、再びバスセンターへ。
聞きなれないバスの到着駅ごとに人が降りて行き車内はガランとしてきて本当に着くのかと心配になる。
で、着いた!バス片道240円。
公園は無料で、この日祝日にも関わらず帰りのバスが16:30頃だったので、効率よく見るためレンタサイクルを借りる。貸出料200円。財布に優しい。
園内を爆走すると、なるほど北海道らしい景色だ。沼なのに丘という不思議な土地やな。
丘の芝生は湿っているフサフサのもの。てっぺんは風が涼しく時に肌寒いくらい。
チャリを止めてビールとつまみで一杯(まぁ飲酒?笑)風が素晴らしく心地よかった。
その後も園内を周遊したけど鳥の声とか風とか木の香りが自然に包まれていて、癒された。
ここは結構オススメだな。
犬の散歩で来たい!
5連勤を終え2時間半かけて札幌ひとり旅。
ひとり旅は2年前の夏指宿へ行った時以来。
その後、萩や広島や倉敷へ友人と行ったけど、
やはり私はひとり旅が好きやん。合ってる。
今まさにそうやけど、行きがけの道中の乗り物の中で自分と向き合う時間…心のノイズが消えて整った水がそこにあるだけのような心持ちになる。静か。
登山やウォーキングの時と似てる。
瞑想をやっている職場の同僚が、心に湧く雑念は全てゴミだと言ってた。ホントこれ。
ゴミ捨てしよう。
昨日仕事で理不尽に怒られて夜イラついてた事も、今はもうどーだっていい。
楽しむ事だけに集中している。
それがいい。
それに雨女の私が、今日は薄曇りの晴れ間に恵まれてラッキーやった☆
途中ふと見た写真のなかからお母さんと肩を組んでる写真があり少し涙が出た。
7/11のお母さんの誕生日の日は素晴らしい晴天で夜も私史上、一二を争う満点の星空が広がってた。
23日は一周忌。
お母さんが見れなかった景色を見せてあげられてるかな。私が満喫して楽しんでる姿見て楽しんでね。
とりあえず、お母さんの好物やった蟹でも食べるかなぁ。
そしたら恨めしそうな顔でお母さんが夢に出て来るかもしれんね。
明日はお母さんの72歳の誕生日
生きてたらね。
夏が大嫌いで汗かきだったお母さん。
でも夏生まれで、71回目の誕生日から10日足らずで亡くなった。突然死。
いまもあの夜の事を思い出す。
いや…おぼろげかな。
中洲でバイトしてて訃報があって、号泣しながらチャリをこいで自宅まで帰った。今考えるとよく一人で帰れたなと。
こないだ初盆用の造花をネットで選んで家出中の実家へ送る手配をした。
お母さんと断絶してた15年間は、気になってはいたし今日お母さんの誕生日だなぁと思ってもいたけど、実家の門をくぐろうとは思わなかった。衝突する事に怯えてたのだ。
なので、誕生日のお祝いも母の日のプレゼントも15年間何もしていない。まぁ連絡を絶っていたので当然っちゃあ当然やけども…
お母さんが亡くなってから、何度も何度も贈り物くらい送ってあげれば良かったと悔いた。
お花が好きだったお母さん。
こちらの住所を知られたくないなら何とでもやりようはあったろう。
玄関に鉢植えを置いて来たっていい。
多分娘からのプレゼントだと気づいたろう。
過去は変えられないけど、もう言ったって仕方ないけど。そして、例え側にいて、親孝行を沢山していた人だって、何かしらの悔いは残るんだろう。
お母さんより私は先に死んでないし、これから自分が幸せを感じることが最大の弔いになるんだと思って、思って。。
お母さんが、初盆の白い清楚なイメージの花束を気にいるといいな。
やっと1年、もう1年。頑張って毎日生きとるよ。
人生ハードモードの所以
私は14年程不倫してた。
相手は子持ちの別居16年程の人で。
それこそ社会人1年目からの会社の先輩でよきメンター的友人のひとりでした。
もしお母さんと絶縁していない時だったら反対されたやろうね。
相手の夫婦関係も破綻していた為、割と周りにもオープンに付き合っていて空気の様な存在だった。が、ある時にウチの発達障害姉の逆鱗に触れブチ切れられギャーギャーと喚き散らされた彼は、分かり合えない。と早々に思ったようで。
ちょうど2年前の今頃、彼から私は別れを切り出された。仕事の事や彼の実家の事、要因が様々あったんだろうけど、もうひとつ。
私の姉に後ろめたくない人を探して。と言われた。
その後2年友人として普通には接してきてLINEのやり取りやごくたまに飲んだりもする。が、もう昔の様な関係性ではない。
2年前に別れたくないと思って涙を流して、必死に執着を隠して、でも相手の気持ちを尊重し私にもう出来ることは見送る事だと決めて諦め気持ちを手放した。
何度も何度も自分に問うて、結局ヨリは戻さなかった。でも今は正解やったと思う。
恋心は風化する。
2年前の日記に…
いろいろ、相手に反論もあったけど。
それを論破したってどうなる?
論破すればいいものではない。
よりよい結論を見つけられる、
落とし所を納得した形で2人で
決められる
体制でないのがそもそもの問題。
…と書いてあった。
近い様で遠かった存在。
脆い氷上の上でハグをしている様な感じ。
何を食べても何を飲んでもどこへ行っても笑いが絶えず安心して過ごせて、美味しかったし楽しかった。
今は…もう違う。。
私の居心地良いその場所は永遠に失われたのだ。悲しいけど、認めないといけない。
そうやってみな生きてくんだろう。
私と彼との関係が歳を重ねる事に落ち着いた友人関係に今後もなれるといいと思う。
何より、私にとってのメンター的な部分は、
たとえお別れした後も変わってないから。
キレイな蝶々が飛んでた
去年お母さんが亡くなった後にお母さんが大切に育てた草花が植わっている庭に、黒っぽい少し青みがかった蝶々が飛んでた。
不思議と庭をふと見たときに。
必ずと言っていいほど。
10分はそこらをフワフワフワフワと。
あれはお母さんじゃないかな?と思っていた。
今日も寮へ帰る途中に同じ種類の蝶々がフワフワ何処からともなく。
やっぱり「お母さん?」と思ってしまう。
と、同時に昔あった色々な出来事の回想シーン…
例えば、お父さんとお母さんが別居してお母さんと川沿いのマンションで暮らし、たわいも無い事で喧嘩になった事。
単身赴任中の彼女持ちの年上の上司と付き合ってお母さん呼び出され彼氏がぶん殴られて別れさせられた事。お母さんに意見してお腹を蹴られた事…。
良いこともまぁいっぱいあったけど、何故かこわい顔のお母さんの顔が思い浮かぶ。
なんかごめんね。
ある日私は夢を見た。お母さんが私の友人達を実家に招いてくれてコーヒーを入れてくれた。
私が、「っていうか、アレ?何でお母さんおると?」と不思議そうにお母さんに聞く。
お母さんは少し困ったような笑い泣きのような、涙を目に浮かべて、「なんね〜アンタ」と言って私の頬を指でグリグリと突いた。
その後私も半泣き半笑いの顔でお互いに見つめ合って、「良かったね」「うん、良かった」と
言い合って、夢は終わった。
涙を流しながら起きたその日、私は何故か
(あぁ、お母さんとわだかまりがあったけど、
やっと和解できたのかな。)と勝手に解釈をした。
生前は仲違いをしたまま分かり合えなかった私達。死んだ人とはもう喧嘩は出来ない。だけど
親子の会話や和解は例え失くした後でも出来るのかぁと、私はすごく腑に落ちた気になった。
また夏が来るよお母さん。