☆毒親育ち発達障害兄姉を持つはなたんは人生ハードモード☆

15年間実家と絶縁し暮らしてきた40代の独身アダルトチルドレン。毒母との死別を機に家庭内DVや機能不全家族との在り方、生と死について辛さを乗り越え哀しみを昇華しながら考えていきたい。ここ数年間で撮り貯めていた写真と共にブログにあげていきます。主に母へのラブレターです。

無理して家族に合わせなくていい

6歳年上の姉はパートをしていて生活保護需給している義兄の生活を支えている。需給も

もう14年ほど。義兄は良い人だが、365日全く働けないようには見えない。気管支が悪く死にかけたそうなのにタバコを吸いたまにパチンコへ行っている。

生活保護っていくら貰えるか知っとる?」

「俺もコールセンターの仕事しようかな」

「貰える人なら貰っといたらいい」など

納税者で一人暮らしの私からしたらたまに「は?」という発言をする。

あーこの夫婦はもうぬるま湯から出る気は無いんだなと。

姉のパート先が昨年末倒産して姉は無職になったが働きたくない、燃え尽きたといって求職を数ヶ月間していなかった。その間、実家の兄(私の7歳上)が暴れ、姉は父との仲裁に立ち回ってはいたが、それは私の目からは求職してない後ろめたさから来る親切のようにも思えた。優先順位はあくまで自分の事で市民の税金をなるべく使わないようにするのが先決だと私は考えていた。


なので、義兄の妹が(こちらも生活保護)子供の世話をせずにスマホ課金ばかりしている、という姉の世間話を疎ましく思った。

「そんなに国から貰ってていいね」

「悪いけど私の前では生活保護の話はせんで」

姉は激昂しだした。この手の話はイコール馬鹿にされたとプライドを刺激される様で、いつも態度が急変する。

私的にもお願いベースで姉と少しばかり距離を置くつもりで言い方を考えたがダメだった。父と兄も姉の肩を持ち、実家には迷惑をかけられてないし、色々やってくれてるから

そんな事は目をつぶらないかんし触れるな、と取り合ってくれなかった。

殴られはしなかったものの、私は土下座を結果的にする形になり罵倒は1時間以上にもなった。ほぼパワハラだった。姉は感情をコントロール出来ないし、とことん敵とみなし追い詰める。かつて絶縁する前の母と同じだ。


「ここまでしてやったのに感謝が足りん」

「わざわざ遠方の仕事をするなら近くの仕事をして実家の家事をしとけばいいったい」

「借金をして頭を下げて実家に帰ってきたアンタに言う資格はない」(昨年母が亡くなり自律神経をやられた私は生活費と家賃を払えなくなり100万円を兄から借りた)(これは母の保険金の一部で私と姉は1円も貰っていない)


「この家から出て行け、その時は100万をウリでも何でもどっかから引っ張って来て出て行け!」言葉の程度も剣幕も異常だった。


「アンタがおったら旦那もここに遊びに来にくいけん、アンタどっかいって。今から皆で飲むけん上に行って。」


ようやくお役御免になり私は自室で考えたが、どうしてもこの家の考えについて行けない自分がいた。いつまでも借金の事を責められ続け自分の事を棚に上げた家族に感謝が足りないと一方的に色々な期待や価値観を押し付けられ要求をされる。

私の居場所と幸せはもう実家には無かった。


(何故納税も勤労義務も果たしていない人に自分の事は棚に上げて罵倒されなければいけないんだろう)

(何故不正受給かもしれないのに家族が触れてはならないんだ。おかしい。)

(奴隷や虫のように息を潜めて暮らすのはもう嫌だ。)


ちいさなリュックに必要なものだけを詰め、

済まないけど、もうここにはいれない。無理。とだけ言い残して、私は家を出た。


姉がまたアンタ逃げるとね!と玄関先まで詰め寄ってきたが、父に静止された。


私が41歳になったばかりの5月の事だった。