☆毒親育ち発達障害兄姉を持つはなたんは人生ハードモード☆

15年間実家と絶縁し暮らしてきた40代の独身アダルトチルドレン。毒母との死別を機に家庭内DVや機能不全家族との在り方、生と死について辛さを乗り越え哀しみを昇華しながら考えていきたい。ここ数年間で撮り貯めていた写真と共にブログにあげていきます。主に母へのラブレターです。

見て見ぬ振りする父の姿

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骨折して11日目。こんなに仕事を休んだのも久々やなぁ。思い返すと去年の夏にお母さんが亡くなって自律神経がやられた時以来かな。

痛みも腫れもむくみも引いてだいぶ普通に歩けるようになった。お高かった足の装具は付けると逆に歩きづらいわ、目立つわ、つまづきそうになるわで、作らんで良かったっちゃない?と思ってしまうがソコはお値段。使わないと元がとれん…


足元をすくわれたこのドジな事件。家族からの足を引っ張られる念で起こったのではと途中で考えてしまったりして少し、いやだいぶネガティブになりかけたが、父宛に手紙を送る事で一旦は気持ちが落ち着いた。


急に家出して帰らない事への謝罪や兄姉からのパワハラや暴言、暴力へのやり切れなさ。実家での暮らしはもう無理なこと。兄姉の発達障害を疑って信じてない事。北海道へ移り住み仕事の契約の関係で、来月のお母さんの1周忌には帰らない事ナドナド…。つらつらと書き綴って送った。


今日は父の日。実家では姉が料理でも振舞っているのだろうか。電話やメールの返事はないしもしあってもこちらも出ないだろう。


小さい頃から父とはあまり接点もなく何かしてもらった記憶もない。

ただただ、母へのDVや口喧嘩や酔って血走った目、顔。母と協力して酔って暴れる父をベルトで縛った事もある。今考えると相当な修羅場だった。


母が亡くなり15年振りに会った、年老いた父は性格は丸くなっていた。


実家に帰っていた5月迄の約半年間は私なりに父に誠意を持って接して来たつもりだったけど、伝わって無かったなーと思う。


父は姉と気が合う。話も弾むようだ。

姉から私への人格否定の暴言イジメの時、少しなりとも仲裁してくれたら良かったのにと思ったが…。

そこも期待すべきでは無いんだろう。

ひとつ、納得出来なかった点だった。