☆毒親育ち発達障害兄姉を持つはなたんは人生ハードモード☆

15年間実家と絶縁し暮らしてきた40代の独身アダルトチルドレン。毒母との死別を機に家庭内DVや機能不全家族との在り方、生と死について辛さを乗り越え哀しみを昇華しながら考えていきたい。ここ数年間で撮り貯めていた写真と共にブログにあげていきます。主に母へのラブレターです。

キレイな蝶々が飛んでた

去年お母さんが亡くなった後にお母さんが大切に育てた草花が植わっている庭に、黒っぽい少し青みがかった蝶々が飛んでた。

不思議と庭をふと見たときに。

必ずと言っていいほど。


10分はそこらをフワフワフワフワと。

あれはお母さんじゃないかな?と思っていた。


今日も寮へ帰る途中に同じ種類の蝶々がフワフワ何処からともなく。


やっぱり「お母さん?」と思ってしまう。


と、同時に昔あった色々な出来事の回想シーン…

例えば、お父さんとお母さんが別居してお母さんと川沿いのマンションで暮らし、たわいも無い事で喧嘩になった事。

単身赴任中の彼女持ちの年上の上司と付き合ってお母さん呼び出され彼氏がぶん殴られて別れさせられた事。お母さんに意見してお腹を蹴られた事…。


良いこともまぁいっぱいあったけど、何故かこわい顔のお母さんの顔が思い浮かぶ。

なんかごめんね。


ある日私は夢を見た。お母さんが私の友人達を実家に招いてくれてコーヒーを入れてくれた。

私が、「っていうか、アレ?何でお母さんおると?」と不思議そうにお母さんに聞く。

お母さんは少し困ったような笑い泣きのような、涙を目に浮かべて、「なんね〜アンタ」と言って私の頬を指でグリグリと突いた。

その後私も半泣き半笑いの顔でお互いに見つめ合って、「良かったね」「うん、良かった」と

言い合って、夢は終わった。


涙を流しながら起きたその日、私は何故か

(あぁ、お母さんとわだかまりがあったけど、

やっと和解できたのかな。)と勝手に解釈をした。


生前は仲違いをしたまま分かり合えなかった私達。死んだ人とはもう喧嘩は出来ない。だけど

親子の会話や和解は例え失くした後でも出来るのかぁと、私はすごく腑に落ちた気になった。


また夏が来るよお母さん。

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