自分がしたい事をするのが引いては周りの為になる
11月某日のお父さんの誕生日の朝。
久しぶりにお父さんに電話をした。
近況を告げると、お父さんは毒兄にまた殴られたという。言葉もない。
お父さんに擦り寄っていた毒姉も、兄をウザく思った後に実家を敬遠後、来なくなったそうだ。一家離散やな。
お父さんの誕生日に商品券でも送り好きな釣り用具か美味しい酒かを買って貰いたかったが、頑なにせんでいいと断られてしまった。
押し付けになるのも嫌なので何も送っていない。
お父さんが実家に毒兄と二人で息を殺し同居して一緒に息がつまる、怒鳴られながら仕事をこなして、また日曜だけ束の間の休息を得ている事にかなりの胸の痛みを感じる。
が、仕方ないと思う事にした。
お父さんも若い時に家族を顧みず酒乱で死んだお母さんを殴ったりしていたので。
それを毒兄、毒姉、私もよく見ていたので。
老後にたとえそうなっても自業自得の面もあるといえよう。
お母さんが死んだ時にいや、その前から、
絶縁していた15年間持ち持ち続けていた、
両親かわいそう、年老いてかわいそう、なるべくならどうこうしてやりたい。という同情の気持ちは捨てようと思う。
結局、自分は自分の生活を守り自立していないと人のことなんて見れない。それがたとえ
親でも。
お母さんは、くれくれ星人やったから、未熟な私は呑み込まれて自己嫌悪に包まれてしまった。
そうじゃなかった。
愛を持って跳ね除けて良かったんだ。
と、いまは思う。
お父さんにも、そういうスタンス、
毒兄毒姉には、敬して遠ざけるスタンス、
毒に情を持って接してはいけない。
あくまで私の人生の主役は私なんだから。